西山浄土宗 永嘉山昌運寺


永嘉山昌運寺の由来

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永嘉山昌運寺の由来

西山浄土宗 昌運寺

法然上人は平安時代の終わりから鎌倉時代の初めにかけて活躍した僧で、中国(唐)の善導大師の教えに学んで「南無阿弥陀仏」と、唱えるだけで極楽往生できるという念仏の教えを広めた。

法然上人に入門した人々の中には関東の武士も多く、源平の合戦の中、一ノ谷の戦いで、幼少の平敦盛の首を泣く泣く討ち取った。

地蔵菩薩

熊谷直実の逸話は有名な話であります。その後直実は法然上人に弟子入りして出家西山粟生の地に光明寺を建立した。

そして、法然上人没後は証空上人(西山上人)の教えを受けることになった。

以後、西山浄土宗は総本山光明寺から各地にその教えが広められることになった。

その末寺である永嘉山昌運寺は京都盆地の西南部を貫流する桂川の右岸流域、古くは乙訓地方と呼ばれており、後方に西山山地をひかえた丘陵地に位置し、近くには物集女城跡地も隣接する。

昌運寺本堂

応永3(1396)年室町時代に山中道嘉和尚によって創建されたといわれている。

現在の本堂は昭和45(1970)年に建設されたもので、閑静な場所に位置している。

御本尊は阿弥陀如来、別に「地蔵菩薩」が安置されている。地蔵菩薩は高さ1メートル以上もあり、木製の仏様である。

また地蔵堂に祀られていたと伝えられている地蔵菩薩は、今もなお多く人々の信仰を集めている。

蛭子様

さらに元禄8(1695)年に描かれたといわれる「来迎図」が飾られている。鮮やかな色使いで、紙の傷みもほとんどない。その裏側から発見された文書には「父母が極楽浄土に生まれ変わることができるように、
広くみんなに功徳が及ぶようにこの画を描いた」と記されている。

山門を入ると左手に蛭子様が祀られ、豊穣や金運の信仰を集めており、毎年1月10日にはえびす講が催されている。

総代長挨拶

住職のご挨拶にございましたが、昌運寺におきましては、墓地の建立が困難な方々のために、将来への不安を解消できる安住の地として、永代供養塔の建立を致しました。

今後、住職、檀信徒ともども常に念仏供養をし、お守りさせて頂きます。

永代供養塔へのご理解、ご協力、ご支援をお願いし、檀信徒を代表してのご挨拶とさせて頂きます。

昌運寺 総代長 中山 芳澄

永嘉山供養塔合祀墓建立の趣旨

永嘉山供養塔合祀墓

お墓に不安をお持ちの方々のために

 最近、新しく墓地を建立することについて、不安を抱いている方が増えてまいりました。

  • お墓を建立したいが、家督を継ぐ者がいない
  • お墓に高額な費用をかけたくない
  • 残された家族に迷惑をかけたくない
  • 夫婦だけの家族なのでお墓が必要でない
  • 先祖代々のお墓が遠方で、移転を考えている
  • 将来転勤などがあり、移住地が決まらない
  • お墓の維持、管理が大変なので
  • 近くに分譲墓地がない

 昌運寺におきましては、この様な不安をお持ちの方々の為に「永代供養塔合祀墓」を建立する運びとなりました。

永嘉山供養塔合祀墓

 納骨の後は、昌運寺の合祀墓永代過去帳に記載し、又、戒名を彫った墓標が供養塔の石板に納められます。

 それ以降も昌運寺において永代に渡りご回向されることとなります。又、春秋のお彼岸、お盆にお参りされる方々によっても供養されることとなります。

永嘉山昌運寺 永代供養塔合祀墓

寺院所在地
  • 京都府向日市物集女町中条三十八番地
墓地所在地 京都府向日市物集女町南条四十番地の一
連絡先電話
経営 主体 宗教法人昌運寺(西山浄土宗)
使用 資格 生前申し込み・遺骨の受け入れ共に可
使用料
一体
30万円
二体(ご夫婦)
50万円